執着の陰に潜む恩恵

「ここは絶対に譲れない」ということってみんないくつかありますかね?

何かひとつにこだわることは「専門家」という良い表現で捉えられますが。

一方、無意識にこだわってしまってそれが果たせないとイライラしてしまうこともあります。

私は毎朝息子が学校に行ってしまった後の息子の部屋の散らかりようが許せなくて、毎日のように後片付けをしていました。「なんで毎日毎日部屋を片付けられないんだ!大人になってもこんな状態が続いたらどうするんだ?片付けてくれる人がいなくなって初めて気がつくのか?」と不愉快に感じなから、ひとりこんなことを考えて過ごしていました。

そしてある日ふと思いついたのでした。
「あれ?この毎日繰り返されるこの不愉快を伴う行動って、私が毎日、片付けることに執着しているから続いてやまないのか?」

自分で作り出しているのか…



それなら、息子の部屋が散らかっていることに執着していた自分を許してみよう!と思いつきました。

息子を許すのではなく、自分を許すという目線です。

そして、その日から息子の部屋を片付けるということにこだわるのをやめて、そのままにしてみました。

すると数日後、息子は部活から帰るとしばらく昼寝をしてから目を覚まして「これから塾だけどなんかだるい。」「そうなんだ、じゃあ塾休めば?」「そうする」
と言って、しばらくすると何かガタゴト始めました。
部屋を覗くと、息子は「まずは勉強できる環境を作る」と言っていつも散らかり放題だった机の上をきれいに片付けてしまいました。
あれほど毎日、片付けられなくて散らかり放題で、将来を不安にさせていた息子はあっさりとできる男へと変貌したのでした。

わ!やっぱり私ができない息子にしていたんだ。私の執着が、ことの元凶だったんだ。

五常の関係性ではこのことは明らかなんです。

義はなにかを決める、つながりを持つ、約束を守るなどの意味があります。バランスを欠いた義になるとそれが行き過ぎてこだわりになって、なにかを許す、手放す、思いやる、可能性などの意味を持つ「仁」を弱めてしまうということが起こります。

実際その状態で十五年近く過ごしていたわけです。

執着に気がついて手放す 
これがなかなか難しいんじゃない?って思いますか?
この辺りは五常プログラムや、ワークショップでもわかりやすくお伝えしています。実のところ、そんな難しいことじゃないのですよ。

執着の陰にはたしかにありがたい恩恵がありました。